宮城県でボランティア活動を行いました ~自然科学部~
「行かなければ見られないもの」
「やらなければ分からない苦労」
10月1日(土)、宮城県東松島市で災害ボラティア活動を行いました。
自然科学研究部では以前、地震と液状化現象について調査をしました。東日本大震災から半年が過ぎた頃、被災地のニュースや特番を見た部員たちの間で、地震や津波についての話題が持ち上がりました。いまだ手つかずの被害場所、不自由な生活を強いられている被災地の方々。私たちが力になることはできないかと話し合った結果、石塚観光と茨城県社会福祉協議会が共催する災害ボランティアバスに申し込み、参加を決めました。
参加したのは、1、2年生の有志6名。朝4:00に水戸駅を出発し、那珂市役所を経由して宮城県へ向かいました。
今回ガイドしてくださったのは、石塚観光の社長、綿引さんでした。茨城県外からの参加者が6割を占め、外国人の参加もあるほど多くの方々から支持を受けているこの企画は、被災地を思う綿引社長の強い気持ちによって始まったものでした。行きの車中、過去に参加した高校生の作文が披露されました。小学生から高校生まで、多くの生徒が参加しているとのこと。その参加した全員が、大変貴重な体験をしたとの感想を寄せているそうです。
到着したのは、宮城県東松島市の野蒜(のびる)小学校。ここでまず、体育館の献花台にお線香をあげました。あの地震で避難していた近隣住民のうち40名は、津波が押し寄せてくる様子が見えないまま、体育館で命を落としたそうです。体育館には津波の跡が残っており、時計は止まったまま、床はボロボロでした。
続いて、グループに分かれて活動をしました。私たちは、のりの養殖を営んでいる漁師さんのもとでお手伝いをすることになりました。移動の途中、だいぶ片付いたとはいえ、津波の爪痕が残る街並みに衝撃を受けました。
現地で私たちを受け入れて下さったのは…
仮設住宅に住まわれている方、津波で家族を失った方、家屋を失った方ばかりでした。私たちボランティア受け入れのために、被災した方々が準備をして待っていてくれていたのです。胸を打たれました。何がなんでもご迷惑はかけまいと、部員一同、気合を入れました。
仮設住宅で暮らす方々を見ました。津波に流されたまま手つかずの家屋を見ました。家族を失った方の話を聞きました。火葬場へも着の身着のまま向かったそうです。難を逃れ生き延びた人たちが、亡くなられた方たちのぶんまで一生懸命に生きていました。
被災地は、1日ごとに、1週間ごとに大きく進歩している、と綿引社長は話します。
今回お世話になったのは、現地の方々、綿引社長、鈴木ドライバーさんだけではありません。高校生の乗り合わせたバスに快く同行してくださったツアーの皆様、先生の隣に座っていた落合さん。初参加の私たちが困らないよう、声をかけてくださり大変助かりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
この災害ボランティアバスの他に、幸せの黄色い菜の花大作戦、思いやりの心育成プロジェクトが行われています。とくに、思いやりの心育成プロジェクトは、瓦礫の撤去や側溝の泥出し、ゴミの収集に必要な土のう袋にイラストや応援メッセージを書いて被災地に贈るという企画で、本校でも是非実施したいと考えています。
今回初めて被災地東北へ足を運びました。行かなければ見られなかったもの、やらなければ分からなかった苦労、聞かなければ知らなかったことが数多くありました。私たちの想像をはるかに超える被害を受けた地区がたくさんあります。ボランティアに参加している方の多くがリピーターだそうです。今私たちにできること、今必要とされていることに1つでも多く役立ちたいという“助け合い”を身をもって感じた経験となりました。また必ず参加したいと思います。