富岡製糸場・足尾銅山見学 ~社会科見学~
昨年、平泉と小笠原がユネスコの世界遺産に登録されました。
国内では世界遺産の登録に向けて活動している自然や施設が数多くあります。
日本の近代産業発祥の地である富岡製糸場と、近代産業の牽引役となり社会運動の先駆となった足尾鉱毒事件の舞台、足尾銅山も世界遺産への登録を目指しています。
明治以降の日本の文化遺産を目で見て、肌で触れてきました。
富岡製糸場に到着しました。入口からすぐに東繭倉庫が見えました。
工事のためシートで覆われていました。
東繭倉庫の入り口です。
1872年(明治5年)に操業を開始し、日本の工業の近代化に貢献し、世界に日本の絹の素晴らしさを発信する場の誕生でした。
しかし操業を開始するまでには多くの困難があり、多くの人々が操業に熱意をかたむけました。
東繭倉庫は木材の骨組みにレンガを積み重ねる「木骨レンガ造」という工法が使用されました。
入口の上にはキーストーン(要石)があり、創業時の「明治五年」が彫られていました。
東繭倉庫は、1階を事務所・作業所、2階を乾燥させた繭の貯蔵庫として利用していました。
現在は、資料展示室と繭から糸を取り出す伝統的な方法である「座繰り(ざぐり)」の実演と体験ができるようになっています。
生徒も「座繰り」に挑戦!!
それぞれの手の動きが違うので、上手くできるかな?
鍋の中には大量の繭があります。
糸を全て取りきるともちろん中からは・・・。
「座繰り」体験後、富岡製糸場案内ツアーに参加し、富岡製糸場の歴史などを詳しく教えてもらいました。
生徒達もガイドさんの話を真剣に聞き、その内容をメモしたり、写真を撮ったりしていました。
敷地内の西繭倉庫前で集合写真!!
一つ目の見学が終了!!
続いて足尾銅山に到着!!
資料館では、炭坑夫の人形がお出迎え!!
坑道に入るためのトロッコです。
ちょっとした冒険気分になります。
内部は、江戸時代、明治・大将時代、昭和時代の坑道があります。
総延長は1,234kmです。
昭和時代の採掘の様子です。
薄暗く危険な中であっても、産業発展のため銅を採掘している人々の様子がよく分かります。
岩盤に青いものが見られます。
これは硫酸銅(Ⅱ)がしみ出ているものです。
今でも、この地域には銅が多く含まれていることが分かります。
坑道を出ると、解説のための様々な展示物がありました。
これは銅山内部を示した模型です。
削岩機体験。結構、振動が来ます。
昭和の坑夫達は、これを毎日使って、採掘していたんですね。
足尾銅山の見学終了後、記念写真!!
<生徒達の感想>
足尾銅山と富岡製糸場に行って
富岡製糸場とは・・・明治政府が、フランス・リヨンの商社、エシュト・リリアンタール商会の横浜駐在員であり、お雇い外国人のフランス人技師ポールブリューナ(Paul Brunat)の指導でフランスから繰糸機や蒸気機関等を輸入し、養蚕業の盛んな富岡に日本初の機械製糸工場です。日本側の責任者となって資材の調達や建設工事の総指揮をとったのは、のちに初代所長になる尾高惇忠でした。当時は世界でも有数の規模であり、和田英ら数百人の女工が日本全国から集められました。和田英は富岡での生活を『富岡日記』に記しています。
製糸場に入るとすぐに繭から絹を取る作業を見学しました。一人ひとり体験させていただき非常に貴重な見学をすることができました。右手で繭を煮詰める鍋を混ぜ、左手で機械を回す作業は慣れていないとかなり難しい作業でした。
生きているうちに見ておいたほうがいいです。
足尾銅山とは・・・足尾銅山の将来性に悲観的な意見が多い中、1877年(明治10)に古河市兵衛は足尾銅山の経営に着手、数年間は全く成果が出ませんでしたが、1881年(明治14)に待望の有望鉱脈を発見しました。その後探鉱技術の進路によって次々と有望鉱脈が発見され、20世紀初頭には日本の銅産出量の四分の一を担う程の大鉱山に成長しました。しかし、急激な鉱山開発は足尾銅山鉱毒事件に見られる公害を引き起こし、下流域の住民を苦しめることとなってしまいました。これを見かねた田中正造は立ち上がり、この問題に対し懸命に取り組み、明治天皇に直訴までもしました。
足尾銅山は現在、負の遺産として世界遺産に登録申請中です。
その足尾銅山の鉱山入口まではトロッコで移動し、明治期から最近まで行われていた鉱山の掘り方が人形で展示されています。最初はスコップで掘られていたのが段々、ドリルになっていき結局1200㌔も掘られたそうです。
銅山のすぐ下には渡良瀬川が流れており、公害事件の時に有害物質が大量に流れ出てしまったことが一目でわかりました。
近くでは銅銭が売られており、貴重な銅銭を買うことができました。
特に織田信長が軍旗にも使った永楽通宝は貴重なので大切にしたいと思います。
今回の見学ではただ歴史に触れるだけでなく、世界的にみた日本の発展やどれだけ絹が必要とされていたか、鉱山ではどれだけの人が働き、悩んだかなど歴史の明暗に触れられました。これからの日本史の授業に生かしていきたいと思います。
2年男子
富岡製糸場と足尾銅山の見学を通して
私は社会科の富岡製糸場と足尾銅山の見学を通して世界に誇れる日本の産業の始まりについて学び、有意義な時間を過ごすことができた。特に印象に残った富岡製糸場について中心に書こうと思う。
富岡製糸場は日本の産業革命の原点であると言われている。明治維新後、殖産興業が進められる中、日本の工業は軽工業から重工業へと発展した。その軽工業の中心となったのが生糸の生産であった。
富岡製糸場はフランスの影響を大きく受けて建設されたが、その中にも日本人の知恵が不可欠だったことを知った。例えば、メートル法でフランス人によって描かれた設計図を全て尺貫法で描きしていたのだ。とても気の遠くなるような作業が、完成へと大きく前進させていたのだった。また、製糸場で働いていた女工は年平均1年7時間45分という長時間の単純労働を黙々とこなしていたそうだ。
私たちは今回、実際に「座繰り」という原始的な糸紡ぎを体験した。施設の方のスムーズなお手本を見て、とても簡単に見えたが、右手と左手で違う動きをするので意外と難しかった。油断すると糸が切れてしまうので、とても神経を使う作業だった。
私は見学に行く前は、富岡製糸場と足尾銅山についてあまり知らなかった。しかし、今回、直接、見たり、聞いたり触れることによって多くのことを学んだ。そして、その二つの施設の果たした大きな役割を知り、是非世界遺産に登録されてほしいと思った。
また、既に世界遺産に登録されているものはその表面上の素晴らしさだけでなく、きっとその裏の歴史的背景や人々の思いが評価されているのだと分かった。だから、興味のある世界遺産については特に、これから、さらに掘り下げて調べてみたいと思う。
1年女子
社会科見学について
私は群馬県にある富岡製糸場に行ってきました。
初めに行ったのは富岡製糸場です。富岡製糸場とはどんな場所かというと、第一産業革命が起こった1890年代に女性を中心にして働いていた場所です。なぜ女性が働いていたのかというと、大きな理由は3つあります。1つは、男性より女性の方が賃金が安かったことです。このころはまだまだ男尊女卑の時代だったのです。2つ目は、男性は長男以外は軍隊に出てしまうということです。長男は家の跡継ぎになり、それ以外の兄弟は国の富国強兵という目標のために軍隊に行ってしまうので、残った女性が働いていました。3つ目は女性の方が繊細な作業に向いていることです。私も実際にカイコから糸を作る体験をしましたが、大変難しくとても苦労しました。
では、そのような大変な仕事をしていた女工達そ生活が潤っていたかというとそうではありませんでした。先程書いたように、女工達はとても低賃金でした。1年でもらえる給料はたったの5円で今のお金に換算すると、20,000円です。それだけでなく、女工達は朝から晩まで働かされていました。寝室も一人一人に用意されているわけもなく10畳の部屋に26人で寝ていたそうです。カイコから糸を作る体験をした時にかいだあの臭いを何時間もかぎ続けて、ゆっくり休むこともできないのに安い賃金でも働きに来る人がいたということは、それほどまでにその時代の暮らしが、貧しかったのだなと想像できました。
次に行ったのは、足尾銅山です。足尾銅山では、銅山の中に入るためにトロッコに乗ることができました。銅山の中はとでも暗くて狭くて、怖かったです。奥には採られていた銅などがありました。とてもきれいだったけれど、これを採ることによって鉱毒が流出して渡良瀬川下流の農民に被害を加えたのかなと思うと感慨深かったです。
今回の見学で今まで考えたこともないことを考えることができたり、体験したり、見ることができて勉強になりました。こうして、いろいろなことを勉強することは将来とても役立つと思うので、これからも参加したいと思いました。
1年女子
足尾銅山・富岡製糸場
私達は2月11日に群馬県の富岡製糸場と栃木県の足尾銅山に行ってきました。
私は両方とも初めて行くところでした。なので、とても楽しみにしていました。
初めに富岡製糸場に行きました。富岡背市場では、日本古来からある方法「座操り」という糸紡ぎをやらせていただきました。思ったより、なかなか速さなどのコツが難しかったです。他にも施設のおじさんの説明を少し聞きました。富岡製糸場の造りの柱が全て杉の木だとは思っていませんでした。この富岡製糸場を見て文明開化の様子が良く分かりました。そして、私達は次に足尾銅山へ向かいました。足尾銅山付近は山に囲まれていて景色がとてもきれいで昔、公害があったようには思えませんでした。足尾銅山の中に入るのにトロッコ電車を使って入りました。現在は700メートルの坑道を見学することができます。坑道に入るにつれて寒くなって行きました。坑道の中では地下水が出ていたり、硫酸銅が浸み出していたりしてとてもきれいでした。坑道内に等身大の人形を使って当時の様子を再現していたのでとても分かりやすかったです。それに昔の人達は今のような重機械もないのによくあんなに掘り進めたなと、思いました。
私はこの2か所を見学して日本が文明開化の頃、欧米諸国に追いつこうとしている様子が分かりとてもいい経験になりました。また機会があったら行ってみたいと思いました。
1年男子
富岡製糸場・足尾銅山見学
2月11日、富岡製糸場と足尾銅山へ見学に行きました。富岡製糸場も足尾銅山も、授業で名前を聞いたことはあったけれど詳しくどのような場所なのかは知りませんでした。今回の見学で知識を深めることができたと思います。
製糸場では、蚕から糸をとる体験や、富岡製糸場が当時どのようにしてつくられたのか説明を聞いたりしました。蚕から糸をとるのは、すごく難しくて、実際働いていた女工さんたちはすごいなと思いました。また、蚕を煮るにおいがとても独特なもので、あのにおいが服についてとれないのはきついなと思いました。製糸場のつくりは、西洋風で個人的に結構好きでした。レンガが全て手作りだということや、昔の技術であれ程の建物を短期間で作ったことを考えると、すごく大変だったと思います。
足尾銅山では、トロッコに乗ったり、銅山の中を見学したりしました。トロッコは思っていたより新しかったです。しかし、実際に使っていたものはもっと小さくて、古いつくりでした。銅山の中は薄暗くて、なんだか気味が悪い感じがしました。とても一人では歩けないなと思いました。
富岡製糸場と足尾銅山は、どちらも深い歴史があって、見学していてとても楽しかったです。とても有意義な社会科見学になったと思います。
1年女子