三たび宮城県でボランティア活動を行いました~自然科学研究部~
10月から始めた宮城県災害ボランティアへの参加も、今回で3回目となりました。
12月4日(日)、自然科学研究部の有志4名に加え、顧問の先生が集めた総勢13名で、宮城県東松島市でボランティアを行いました。
今回は全員1年生。石塚観光のボランティアバスにお世話になり、朝4:00に水戸駅を出発しました。
前日の雨が嘘のような晴天に恵まれ、行きのバスからは何度も虹を見ることができました。
いつものようにいったん、東松島市の野蒜小学校に到着した私たちは、体育館の献花台で線香をあげました。
改めて、当時の津波の高さを知り、今回初めて参加した生徒は驚きを隠せなかったようです。
野蒜小学校で準備を済ませたあと、奥松島に位置する月浜海岸へと向かいました。
震災前は海水浴場や民宿、漁業で栄えていたこの地区も、今は全壊した家屋と仮設住宅しかありません。
今回はこの海岸沿いの瓦礫撤去を行うことが私たちの仕事です。水海道小学校の生徒たちが想いを込めて書いた土のう袋を使い、ビンや缶、津波で流されたままの物品を拾い集めました。
猛暑続きだったあの夏から、多くのボランティアの方たちによってだいぶ片付きました。
しかし、まだまだ手つかずの場所があり、落ちている物は生活感のあるものばかりで、津波の恐ろしさを物語っていました。
タイヤやロープ、畳、カーテン、住居の一部といった粗大ゴミもたくさんありました。
以前、本校の第1学年でも、土のう袋にメッセージを書いて被災地に送るプロジェクトを行いました。
私たちが想いを込めて作った土のう袋がこうして使われていくのだと分かり、小学生たちの書いた想いをいっしょに分かち合いながら作業を行うことができました。
水海道小学校の皆さんには大変励まされました。
土のう袋はいくらあっても足りません。
学校に戻ったら、再び土のう袋作りプロジェクトを行う決意をしました。
気温が低く、風が強かったにもかかわらず、午後からの作業も一生懸命行いました。
今回初めて参加した生徒は、震災から9ヶ月が経とうとしているが、いまだなお津波の爪跡が当時のまま残されており、想像をはるかに超えていた瓦礫の山に、言葉を失ったと話します。
「復興」 ――― これは一言で済ますことのできない大きなものだと感じます。
これからますます寒くなりますが、力になれる限り、今後もボランティア活動に参加しようと思います。
そして将来、復興を遂げたこの地に、また足を運びたいと願っています。
頑張ろう東北!頑張ろう日本!